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「 Beloved 〜 凍てつく炎 〜 」 file #6
2015.10.08 23:00
0
    7月27日(月) 早朝 東京都T区


    暑い。まだ夜も明けきっていないのに暑くて堪らない。
    窓を開けていても汗だくで、気持ちが悪いを通り越して気が遠くなる。
    その割には、眠りに落ちる訳でも無く、ただうとうとと時間が過ぎるだけだ。
    エアコンを修理するか買い替えるかすれば、一瞬で解決する事は分かっている。大家に言えば、その日のうちに手配してくれるだろう。
    なぜそれをしないのか。
    ただ面倒なだけ。それだけだ。
    たとえこの部屋の暑さが解消したとしても、何も変わりはしない。

    どうでもいい事をぼんやりと考えていても一向に眠くはならない。
    このがらんとした事務所のソファに横になったのは夜半過ぎだったが、今日もほとんど眠る事はできなかった。無理に目を閉じても、寝入る端からすぐに悪夢が襲ってきて跳ね起きる、を繰り返す。眠れない夜ばかりが続く。
    睡眠不足がこうも続くと体力が果てしなく落ちて行く。
    テーブルに置いておいたペットボトルに手を伸ばし、とにかく喉を潤すが、生温い水は飲んだ傍から汗になって噴き出してくる。
    諦めて起き上がり、タオルでその汗を拭く。
    あれから。あの日から、まともに眠った記憶が無い。
    窓の外を見ると、濃い青色に夜明け前の空が染まり始めていた。
    立ち上がり、窓に近付く。
    眼下の繁華街はいつもと何も変わらない。眠らない街。
    ここに流れ着いてから何年経っただろう。
    こんなところでも、長く居着いてしまったな。
    こんなところでも。
    俺はここから見る眺めが、好きだった。
    それも今日で見納めだ。
    見上げると、夜の終わりに薄れていく星が俺を見ていた。



    いつものように、外に出た。
    いくつかのコンビニや売店を回り、複数の新聞を買い込む。あまり目立たないように、一つの店では大量に買わない。ついでに買った水と少しの食料を持って事務所に戻り、新聞に目を通していくと、それが目に入った。
    ――発見されたか。
    選りに選って昨夜か。こうなると因縁めいたものを感じる。
    そうすると決めたあの日から、今日まで。
    長かった、と思う。

    死後一週間から十日、か。もうそんなに経ったのか。
    さっさと始末するものは始末して、早くここから出て行こうと思っていたのに、随分時間が掛かってしまった。
    あいつはどうしているだろう。あの時、あそこで別れたきりだが、うまくやってるのだろうか。あの姉貴とも。
    じきにこの記事にも気付くだろうが。あれ以降、あいつも事の成り行きは気になっているはずだ。
    あの刺すような冷たい眼差しを思い出す。俺は思わず軽くため息を吐いた。
    あいつも大した玉だったよ。俺なんかよりよっぽど性質が悪い。防犯カメラの避け方や証拠の消し方も慣れたもので、最大限、自分の痕跡を残さない方法も知り尽くしていやがった。しかもそれを、長年自分で考え抜いて実践して体得してきたのだから、空恐ろしくすらあったよ。俺が教えてやった事なんて、些細な事だったと思う。あの調子だと、いつもあくまで事故に見せ掛けるようにして、ずっと誰にもばれずに成功させてきたんだろう。
    それでも、今回。あそこまでやるのは初めてだったらしい。
    それは俺だって、これまで散々悪事に手を染めてきたが、ここまでの事をした経験は無かった。
    両手の掌にできた肉刺の跡を見る。もうほとんど治ったが、あの一瞬だけで、ここまでになるとは思っていなかったよ。

    ――もう、よせ。
    「それ」はもう死んでる。
    これ以上叩きのめしても、「それ」はこれ以上死なない。

    どれほどの時間そうしていたのか。数分か、数十分か、数時間か。記憶に無い。
    何か喚いているあの男を蹴り上げ、首から下を角材で殴っていった。頭を殴れば、下手をすると一撃で絶命する。
    そんなにあっさり死なせてなどやらない。
    最期まで、苦しむだけ苦しませてやらなければ意味が無い。
    何も言わなくても、あいつも俺と同じやり方をしていたよ。いや、俺より凄まじかった。
    俺の方が先に手を止めていたと思う。気付いた時は、俺もあいつも激しく息を切らせたまま、もう動かなくなった「それ」を見下ろしていた。
    俺が腹の底から全身頭の中まで真っ赤に燃え尽くしていた事を自覚し始めた時、あいつが再びそれを握り直して振り降ろしだしたのを見た。
    もうよせ、と言ってやろうと思ったのに、俺は黙って見ていた。
    誰にも見られない場所で、絶対に逃げられない状況にして、吐かせるだけ吐かせて、心置きなく手を下し、気が済むまで。
    あいつはいつまでも殴り続けていやがったよ。
    あいつの姉貴も気の毒な女だ。あんな弟がいたんじゃ一生結婚できないだろう。
    いや、それどころか――。
    俺はそれ以上考えるのを止めた。そんな事は、俺が考える事じゃない。



    今日は因幡さんが来る。そしてここに残った物を全て引取って貰う。
    なんだかんだ言っても、世話になったな。あの人は、なんであんなに俺の事を気に掛けてくれてたんだろう。
    俺はあの人が思ってる程、大した人間でも無いのに。
    あの人に可愛がって貰える資格なんて、ずっと前から無かったのに。
    まるで叔父か歳の離れた兄貴みたいだったよ。
    でももうこれ以上、あの人を余計な事に巻き込む訳にはいかない。
    俺なんかのために。
    最後くらい、迷惑を掛けないように後腐れ無く別れたい。



    ここにある物は、全部捨てようと思っていた。
    それでも。
    ほとんど空になった事務机の引き出しから、それを取り出した。
    どうしても処分できなかった、一枚の写真。
    成人式の時に、頼まれて俺が撮ってやったんだ。晴れ着姿で嬉しそうに笑ってやがる。
    あの頃、俺は一人でせこい会社を立ち上げて、一応まともな商売をしようとしてたんだったな。見てくれだけは一人前の面をして。真面目にやってりゃなんとかなるかと思って、経営が傾いても必死で踏ん張ろうとしたけど。結局すぐに行き詰まって。世の中そんなに甘く無かったって事だ。
    赤塚さんが貸してくれたあの倉庫の事は、忘れていたはずだった。でも、この俺でも、あんな事をやれる場所の心当たりなんて、あそこしか無かったんだ。
    それで久しぶりに探りを入れたら、あれから何年も経ってるのに、相変わらず管理が杜撰で。そこに付け込んじまって、赤塚さんには悪い事をした。まあ、あの人に取ったら、こんな事は屁でも無いかもしれないが。
    この事務所を借りる事ができたのも、元を辿れば赤塚さん絡みだったのに。
    恩を仇で返しちまったな。ここから消える事くらいしか、俺にできる事はもう無い。情け無え話だ。

    手の中に残る褪せた時間の面影。
    俺が撮ったそれが一番きれいに撮れてるからって、わざわざプリントして。記念に、て言ってよこしたんだ。
    『ありがとう』、と微笑んで。
    その時は、これを貰って俺はどうすりゃいいんだと思ったが。ここに移ってからも、なんとなく、ずっと引き出しの中に入れっ放しになってたよ。
    実家を追い出された時とおんなじだ。
    会社が潰れてしばらくして、ばばあが死んだ後も一人で住んでたあのアパートの部屋から出て行く時、どうしても捨てて行けずに持ち出したそれは、ずっとキャビネットの奥に入れてあった。
    今も、また。俺は、それをまとめて突っ込んだ小さなバッグに、その写真も一緒に入れて、最低限の物だけを詰めたリュックの一番奥に押し込んだ。
    少し前に、一度だけ、実家のあった場所に行ってみた事がある。
    あのぼろアパートはもう取り壊されて、小奇麗なマンションになってた。いくつか窓に明かりが点いていて。そこは知らない誰かの帰る場所になっていたよ。
    分かっていた事なのにな。今の俺には、この事務所だけしか無いって事は。
    でも、それも今日で終わりだ。
    昨夜あの男が発見されたのなら、タイミングとしてはぎりぎりだろう。遅過ぎるくらいだ。
    いい加減身軽になったものだが、これからどこに行こうか。
    一瞬、心の中に、晴れ渡る青い空と緑の大地が映った。
    今更、なぜ。今の俺に絶対に相応しくないそんなものが心に浮かぶのか。
    俺がまだ一度も見た事が無い、その風景。
    それを話して聞かせてくれたのは――。
    窓の向こうには、それと似ても似つかない猥雑な街。
    毎晩繰り返し見る悪夢が頭を過ぎる。
    鮮明に残るその記憶を忘れる事は、永遠に無い。
    それでも。
    今だけは。夜が明けるまでの僅かの時間でいい。その風景を思い出していたい。
    俺は、白々と明けて行く遠い空を、ただ眺めていた。





     file #7



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