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「 Beloved 〜 凍てつく炎 〜 」 file #11
2015.11.19 22:00
0
    9月28日(月) 夜 東京都M区


    九時か。今夜は帰りが遅いな。
    時計を見て、またため息を吐いた。夕食の支度を済ませて、ずっと姉さんの帰りを待ってるけど、まだ何の連絡も無い。
    やっぱり昨夜の事を怒ってるんだろうか。確かに、あれは俺が悪かったと思う。
    でも、もう自分でもどうしようも無かったんだ。



    昨日は中秋の名月だった。
    夜、月が出るのを待って、姉さんと二人でベランダに出て月を見てたんだ。
    吸い込まれるように艶やかで、本当にきれいな月だった。
    夕食の時に二人で少しお酒を飲んでほろ酔いだったし。久しぶりに、とてもいい気分だった。周りにあまり高い建物も無いし、騒がしい街の喧騒もほとんど聞こえなくて、月の下で二人っきりって感じで。
    ここのところ何か月も色んな事があり過ぎて、思い悩んだり苦しい事が多かったけど、みんなどこかへ吹き飛んでしまうような。姉さんの屈託の無い笑顔の横で。夢みたいな気分だったんだ。
    それで、並んで立って夜空を見てたら、姉さんが一瞬ぶるっと身体を震わせた。
    寒いのかなと思って何か羽織る物を取って来ようとしたけど、姉さんが大丈夫って言うから。なんとなくそのままで居たんだけど。
    でも寒いのなら、と思って。
    そっと、姉さんの肩に腕を回してみたんだ。
    とても勇気が要ったし、ものすごくどきどきした。姉さんが嫌がるんじゃないかと思って、少し恐くもあった。
    そしたら姉さんは、ちょっとだけ俺の方を見て微笑んで、
    「大丈夫よ。瑛次」
    と、もう一度言った。でも俺の手を振り払ったりせずに、そのまま月を見上げてた。姉さんは、ずっと俺に肩を抱かせたままで居てくれたんだ。腕に、温もりが伝わってくる。
    明日はスーパームーンだし、また一緒に見よう、なんて他愛の無い事を話しながら。だんだん言葉が少なくなって来て。胸がどんどん高鳴っていって。
    俺はいつの間にか、月よりも姉さんを見てた。
    ――その時、本当に勝手に身体が動いたんだ。
    俺は、腕の中の肩を引き寄せ、姉さんの唇に自分の唇を重ねた。
    愛しくて堪らなかった。暖かくて、柔らかくて、他のどんな女とも違う。
    瞳を閉じて。想いを込めて――。
    「やめて」
    次の瞬間、姉さんが俺を突き放した。
    空気が凍り付く。信じられないって顔で声も無く見開いた目が俺を見てる。
    咄嗟に何か言わなければと思ったけど、不意を突かれて言葉が何も出て来なかった。姉さんは、すぐに逃げるように部屋の中に戻ってしまった。
    「ごめん、姉さん。冗談だよ」
    やっとそう言って、俺も追って中に戻ったけど、姉さんはもう目も合わせてくれなかった。何か言おうとしても、首を何度も横に振るだけで何も聞こうとしてくれない。そのまま自分の部屋に入って閉じ籠ってしまった。
    俺は自分が思わずしてしまった事自体にも動揺してたし、それに対する姉さんの反応にも激しく狼狽えて、しばらく何も考えられなかった。
    しんと静まり返った家の中で、どうにか心を落ち着かせようとして。
    それで少し経ってから、姉さんの部屋のドアを叩いて呼び掛けてみたけど、返事は無かった。部屋の中の音を聞いてみても、何も聞こえない。
    結局姉さんは、夜が明けるまで一度も出て来なかった。
    俺は一睡もできなかった。

    そして今朝。
    姉さんが出勤するために起きて来た。
    俺はすぐに自分の部屋から出て、姉さんにとにかく謝った。
    一晩中、朝になって姉さんが出て来たら何て言おうかずっと必死で考えて、まず謝ろうと。謝って、とにかく話を聞いて貰えるようにしようと思った。
    それで、昨夜は少し酔っていて、ちょっとふざけてしまっただけだって何度も言ったけど、姉さんは何も言ってくれなくて。ずっと険しい表情で俺から顔を逸らしてばかりだった。
    そして俺を振り切って出掛けようとするから、どうしてもこの状況に耐えられなくて、思わず手を掴んで引き留めようとしたら。
    姉さんは泣きそうな顔をして、怯えるように後退って。
    俺の手を振り払って、そのまま出て行ってしまった。
    ばたん、と玄関の扉が閉まり、足早に遠ざかって行く靴音だけが聞こえた。
    呆然と、俺はその場で立ち尽くした。
    一晩経ったら、少しは冷静になってくれると思っていたのに。
    そんなに嫌だったのか? あんなに優しかった姉さんが、これ程俺を拒絶するなんて。信じられなかった。

    気付いたら、もう日が暮れ掛かってた。
    あれから丸一日、俺はずっと考えてた。
    俺は、これからどうすればいいのか。
    ずっと考えてて、やっぱり、ちゃんと話すべきかもしれないと思った。
    今朝は、とにかく謝って許して貰おうと思ったけど、そうやって誤魔化すんじゃなくて。もっと真剣に。姉さんに、俺の本当の気持ちを打ち明けた方がいいと。
    俺は、もうこれ以上、隠し切れないと思う。
    だから、今日姉さんが帰って来たらきちんと話をするって、決心した。
    姉さんだって、今日一日、ずっと考えてくれてると思う。
    正直、とても恐い。でも勇気を出して話せば、きっと分かってくれるって信じてる。それから二人で、これからどうするか、話し合えたら、と――。

    そう思って、俺はここでずっと待ってる。
    でも姉さんは中々帰って来ない。
    いつもなら、もうとっくに帰ってる時間なのに。
    今朝、俺が引き留めようとした時の苦しそうな瞳が頭に浮かぶ。
    姉さんは今日、ちゃんと帰って来てくれるだろうか。



    十時近くになって、姉さんが帰って来た。
    顔を見れて、とにかくほっとした。沈んだ表情だったけど、帰って来てくれて本当によかった。少し様子を見て、夕食を食べるか聞くと、姉さんは首を横に振って自分の部屋に入って行った。
    それも仕方が無いと思う。取り敢えず食事は冷蔵庫に片付けて、コーヒーだけは淹れておいた。
    姉さんがそのまま部屋から出て来なかったらどうしようかと思ったけど、今朝よりも落ち着いてるみたいで、少ししたら、荷物を置いて俺が待ってるキッチンに戻って来てくれた。
    やっぱり、姉さんも話し合おうとしてくれてるんだ。そう思った。
    それで俺が思い切って話を切り出そうとした時、姉さんが先に口を開いた。
    「ずっと気になってたの」
    意図せず出端を折られてしまったけど、俺はできるだけ穏やかに返した。
    「何が?」
    姉さんは、俺がなぜいつも自分の交際相手の事をよく知ってるのか、と訊いた。
    「え」
    俺は面食らった。突然、なんでそんな事を言い出すのか分からない。それでつい口籠ってしまったら、姉さんは思い詰めた表情になって、さらに続けた。いつも自分の彼氏の事で、自分が知らない事まで俺が知ってて、驚かされる時がこれまで何回もあったが、それはなぜなのかと。
    そして、何も答えられないでいる俺に、意を決したように言った。
    「ねえ、瑛次。本当は、あの人がどこにいるか知ってるんでしょう?」
    俺は、いきなり胸を衝かれたような気がした。

    姉さんは、俺があの男の消息を知ってて、自分に隠してるんじゃないか、と、そう言ってるんだ。
    全く予想外の展開に、俺は思わず言葉を見失う。姉さんがそんな事を考えてるなんて全然想像もしてなかった。でも本当の事を言う訳にはいかない。とにかく今は納得させるしかない。そうしないと俺のこの真剣な気持ちを伝える事ができない。
    姉さんはじっと俺を見詰めてる。何とかしなければと思って、少しの沈黙の後、俺は一度大きく深呼吸をして、仕切り直そうとした。
    「どうしたんだよ。なんでそんな事急に。それより俺の話を」
    「正直に話して」
    遮るように姉さんは言葉を重ねた。俺とずっと接して来て、前から俺が自分の事を慕ってくれてる事は分かってた、でもそれは姉弟だから、たった二人の姉弟で、家庭環境に恵まれてなくても二人で助け合って、励まし合って生きて来たのだから、そう信じて疑ってなかったんだと。
    「だけど」
    と息を詰まらせた。
    昨夜の俺の行動を見て。
    何もかも分かってしまった気がした、とその瞳に涙を湛えた。
    考えれば考える程、そうとしか。震える声で、姉さんはそう言った。
    俺は、一瞬で完全に追い込まれた。
    昨夜の自分の軽率な行動を心の底から後悔した。
    ここまで来たらもう腹を括るしかない。精一杯平静を装って、俺はもう一度息を吐いてから言った。
    「俺は、何も知らないよ」
    「嘘」
    「嘘じゃないよ」
    姉さんの責めるような瞳に焦燥してきて、どうすればこの場を乗り切れるか、必死で落ち着きを取り戻そうとした。
    俺は大した事は何もしてない、と答えた。そりゃあこれまで、姉さんが付き合った相手の事で、姉さんが知らない事もあったかもしれないけど、今時、ちょっと名前を検索でもすれば、ある程度の情報は簡単に手に入ったりするし、個人情報だってその気になれば、と、そこまで言った時、
    「やっぱりそんな事してたの」
    姉さんの言葉が突き刺さる。
    愕然とした。姉さんは確信があった訳じゃ無かったのか?
    俺は無意識にゆっくりと首を横に振る事しかできなくなってた。
    ばれる。姉さんにばれる。
    それだけは絶対に避けなければならない。
    それだけは絶対に認める訳にはいかない。
    「違うよ。だからそれはそんな大したことじゃ無くて」
    「瑛次、まさか本当に」
    もう口が止まらなかった。
    俺はただ、いつも姉さんの事が心配だったから。姉さんが悪い男に騙されたり傷付けられたりするんじゃないかと思ったから。俺は姉さんが知らされてない本当の姿を知っておいた方がいいと思って。
    「だから、ちょっとあいつらの後を尾けて」
    思わず口をついて出たそれに、姉さんが息を呑んだのが分かった。
    しまった。
    そう思った時はもう遅かった。
    「やっぱり瑛次だったの? ずっと、私の大切な人に酷い事してたのは」
    姉さんは痛みに溢れた瞳で、苛むように声を上げた。
    「だからあの人にも」
    「違う、俺じゃない」
    俺は叫んでいた。
    あのストーカーは、と姉さんが言い掛けた瞬間、俺の中の何かが弾け飛んだ。

    俺は感情に駆られて洗い浚いを捲し立てた。
    違う、俺は姉さんが心配だっただけだ。姉さんがどんな男と付き合っても、姉さんが幸せになれるならそれでよかった。でもそんな奴は一人もいなかったんだ。
    あの男が一番酷かったんだ。それはあの時姉さんにも話したじゃないか。
    信じてくれなかったのは姉さんの方じゃないか。
    あの男はこれまでたくさんの女を騙して来て、姉さんからも金を巻き上げようとしてたんだ。それにあの男が住んでる場所も姉さんが知ってるところじゃないし、出身地も、育ってきた家庭環境も家族構成も全然違う。影で博打みたいな事ばかりやってて、姉さん以外にも何人も女がいて、その中には、と言い続けようとした時、姉さんが叫んだ。
    「知ってたわよそんな事」
    悲痛な声で。そしてぼろぼろと涙を溢した。
    全身が硬直する。俺は絶句した。
    姉さんは、あの男の嘘に気付いてたと言った。あの男の言葉のどこまでが真実でどこまでが嘘だったのかは分からないが、自分を騙そうとしてた事には、付き合い始めた頃から分かってたと。
    じゃあ、なぜ。
    なぜあんな男と付き合ってたんだ。
    「宏輔さんが、好きだったからよ」
    姉さんは泣き崩れた。
    俺は絶叫した。
    「だから、姉さんはそれくらいあの男に騙されてたんじゃないか」
    「違うのよ。瑛次。違うのよ」
    姉さんはただ何度も首を横に振り続けた。
    「瑛次は、何も分かってないのよ……」
    嗚咽だけが響く。もう何も信じられない。信じたくない。
    教えて、と姉さんは懇願するように言った。あの人が今どこにいるのか、瑛次なら知ってるでしょう、と。
    知らない、俺は何も知らない、と言い切った。
    なんでだよ。なんであんな男に、そこまで。
    あんな男より、俺の方が。
    俺の方がよっぽど姉さんを幸せにできるのに。
    姉さんが力無く立ち上がった。
    「警察に……」
    俺が何も話そうとしないなら、警察に行って全てを話す。
    姉さんはそう言った。
    ぐらりと目眩がした。何言ってるんだよ。俺が一体何のためにあんな事を。
    反射的に立ち上がり、出て行こうとする姉さんの腕を掴んだ。
    振り払われた瞬間に、俺は部屋の出口の前に立ち塞がった。
    姉さんは自分の部屋に逃げ込んで、俺はそれを追い掛けた。
    出て行って、と叫ぶ姉さんをベッドに投げ付けた。
    全部、姉さんのためにした事じゃないか。
    姉さんと俺の未来のために。
    どうして。
    姉さんこそ、何も分かってない――。



    あの視線を感じた。
    纏わり付くような。
    全身に鳥肌が立つ程、底の知れないとても嫌な視線を。
    この部屋には他に誰もいないのに。
    ここは両隣が空き部屋だけど、実は真上と真下の部屋も誰も住んでない。
    だから俺はわざわざこの部屋を選んだんだ。
    自然に、何の違和感を持たせる事も無く。
    そう仕向けたんだ。
    それなのに。
    この視線から逃れられない。
    ああ、姉さん。少し静かにしてくれないか。
    不快で堪らない。
    ここには誰もいないはずなのに。



    どれだけの時間が経ったのかもう分からない。
    目の前に居る姉さんを見下ろして俺は我に返った。
    姉さんはもう何も喋らない。
    何もしない。
    冷たい泣き顔のまま固まってる。
    二度と、俺に笑ってくれない。
    最後の灯火が消えたように、頭の中が真っ暗に染まる。

    その時、一層に強い視線を感じた。
    ぎくりと振り向くと、窓の外から部屋の中に、覗き込むような影が射す。
    俺は急き立てられるように窓に飛び付き、鍵を開けた。
    窓を開き、勢いによろめきながらベランダに出る。
    空には、見た事も無い程眩い真澄鏡。
    全てを見透かすように放たれる絶大な光が深夜の街を包む。
    俺に、その光は見えない。
    光は、俺に降り注ぐ事は無い。
    ただ真っ暗な虚空だけが眼前に広がっていた。
    真っ暗な虚空しか見えない。
    俺はその奈落の底へ逃げ込むように。
    ベランダの柵に足を掛け、深淵の闇へとダイブした。





     file #12



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